ほんのりと怖い話。

ほんのりと怖い話を日々更新して逝きます。

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ウラミノワ

正月休みの時に先輩から聞いた話をさせて頂きたいと思います。

ただ、この話は当事者の家族がまだ生きている為、仮名と多少の脚色を交えて書き込みさせて頂きます。
また、「家に関する…」という主旨からは若干外れてしまうかも知れない
上、内容が内容だけに、特に女性の方はあまり読まない方が良いかも。

その先輩は、某地方の山奥に有る、小さな集落出身です。
私自身、学生の時に一度だけその場所に行った事がありますが、とても寂しい場所でした。
住んでいる人が温かい人達ばかりだった為、その集落の寂れ具合が余計目立っていました。

さて、久々にその先輩と会ったので、色々と昔話に花を咲かせていたのです
が、たまたま彼の実家が有る集落の話になりました。
私「実家には帰りました?」
先輩「うん、まあ…」
私「…どうしたんです?親御さんと喧嘩でもしたんですか?」
先輩「そうじゃなくてさ。一応帰ったんだけど、色々と考える事があった」
私「親御さんの跡を継ぐ話でも出たんですか?」
先輩「いいや、違う。もっと根本的な話だよ」

そして、以下は彼が初めて私に打ち明けた話です。

彼が住んでいた集落には、昔で言うところの庄屋的立場の人が居ました。
家も大層立派で、すぐにこれだ、と分かるぐらいの大きな旧家です(私も集落に行った時、すぐに分かりました)。そして、結構な土地持ちでもあったようです。

が、土地持ちと言っても威張り散らす事も無く、近所の人達にはとても親切、村人の相談に乗ったり揉め事の仲介をしたり…と、人望も厚かったようです。
また、大の子供好きでも知られており、集落の子供を呼んで習字を教えたりご飯をご馳走したり(これが、本当に豪華だったらしい)もしていました。

そして、その家には息子さんと娘さんが居ました。息子さんは既に独立して家を出ていたそうですが、娘さんの方はまだ家に居て、先輩が3歳位の時には、既に中・高校生程の年齢であったと言います。
先輩は彼女の事を、とても鮮明に覚えていると言います。

女性の綺麗な黒髪を、「濡れた烏の羽の色」と言いますが、正しく彼女はそれでした。
真っ直ぐに伸びた黒髪を腰ぐらいまで伸ばし、それをいつも束ねていたそうです。
そして、肌も驚くほど白く、顔立ちも美人そのもの。

所謂、大和撫子でした。

ただ、彼女には変わっている所がありました。まず、学校に行っている様子が無い。
どこか悪いようにも見えないし、中学か高校に行っていてもおかしくない年齢だというのに、朝も昼もずっと家に居る。
また、庄屋の家の家族は村人とよく接するのに、彼女だけは家に閉じこもって出てこない。
聞けば、「学校どころか、家からも出たがらない」との事でした。

でも、彼女も庄屋の両親同様、子供達に対してだけは非常に面倒見が良く、日頃遊ぶ相手が居ない為か、家に遊びに来る子供達の遊び相手をよくしていました。
その可愛がり様はまるで、我が子を相手にしているような感じであったそうです。

そして、遊び相手をする子供に、外の様子を頻繁に聞くそうです。それは本当に些細な質問で、テレビを観たりしていれば、すぐに分かりそうな内容でした。
「そんなに知りたければ、自分から外に出ればいいのに…」と先輩は思ったそうです。

さて、それから暫くして、子供の遊びに1つの変化がありました。TVゲームの登場です。
それと共に庄屋の家に遊びに行く子供達も減りました。
先輩も例に漏れず、 親に買って貰ってゲームをする毎日だったそうです。
庄屋の家でお絵描きや草笛、笹舟を作ったりお手玉で遊ぶよりも、TVゲームの方が遥かに刺激的でした。

それから数年が経過しました。先輩は相変わらずゲームや、友人と某カードの交 換などをして遊ぶ毎日だったのですが、たまたま学校で「自分の身近な歴史を知りましょう」といった主旨の宿題を出されました。

最初は親に聞いたのですが「ずっと農業してた」程度しか答えてもらえず、悩んだ末に「庄屋の人なら家も古そうだし、何か知ってるかも知れない」と思い立って行ってみる事にしたそうです。

で、先輩はノートと筆記用具を抱えて庄屋の家に行きました。数年振りなので、
少し緊張したのですが、門をくぐって玄関へ。が、誰も出てきません。
『おかしいな、皆留守なのかな?』と思っていると、家の奥から怒鳴り声と泣き声が。

何事か、と思った先輩は縁側の方に廻りましたが、何も見えません。しかし、相変わらず怒鳴り声は聞こえます。
その声の元を確かめたい、という強い好奇心に駆られた先輩は、縁側から家に上がり込みました。

先輩は足音を忍ばせながらゆっくりと歩き、声を頼りに奥の間へ。
そして、とうとう声のする部屋にぶち当たりました。
少し躊躇いましたが、襖を少しだけ開けて中の様子を見た彼の目に、とんでもない光景が飛び込んできました。

部屋には布団が一枚敷かれていました。そして、その上には例の娘さんがペタリと座り込んでいます。
が、ひと目見て「様子がおかしい」事は、小学生の先輩にも分かりました。

目を大きく見開き、髪を掻き毟ってうなり声ともつかぬ声で喚いています。
そして、口から飛沫を飛ばしながら、「どこへやったぁ!出せぇ!」と、繰り返し叫んでいました。
昔、先輩に折り紙や草笛を教えてくれた娘さんの面影はありませんでした。

娘のすぐ脇には、泣いてオロオロする庄屋夫婦。部屋の隅には、何事かをつぶやく祖母が居ました。

庄屋の泣き声であまり聞こえなかったのですが、祖母は「この家に生まれた娘なんだ。いずれはこうなるって分かってたんだ。しょうがねぇ事だ」という感じの事を呟いていたそうです。

この、尋常でない光景を見た先輩は兎に角逃げ出したそうです。走って家まで逃げ帰り、事の次第を大まかですが親に話しました。
すると、親の顔色が突然変わりました。そして「見た事は誰にも言っちゃいけない」
と、固く口止めされたそうです。
結局、何故娘さんがそうなったのか、どうして口止めをするのかは教えてくれませんでした。

それから10年以上の月日が流れました。いつしか庄屋の家は無人になり、先輩自身も
進学の関係で都会へ。そのまま就職し、毎年のお盆と年末には帰省していました。

そして、今年の冬の事です。
先輩は帰省して自分の父親と酒を飲んでいた時に、たまたま庄屋の話題になりました。
すると突然、「お前も大きくなったし…」と言って、父親は先輩に対して以下のような話をしてくれました。

その昔、庄屋の祖先(当時は地侍か何か)にとても女癖の悪い人が居たそうです。
気に入った女性はどんな手を使ってもモノにする。それに加えて、かなりの暴君でもあったようです。

さて、その暴君には何人かの息子と、1人の娘が居ました。
息子達は、父親に似て粗暴でありましたが、娘は優しい性格をしており、父や兄弟を嫌っていました。
その上、外見も綺麗な黒髪に白い肌、とても綺麗な顔立ち…との事で、周囲の人間で惚れる者も少なくなかったようです。

娘は父親や兄弟の所業で被害を蒙った人々を助け、その度に父を諌めました。
が、父親はそんな娘の忠告に耳を貸すどころか、忌々しい奴だとさえ思っていました。
そして、ある日とうとう、娘は父親の逆鱗に触れてしまいます。

今となっては理由は分かりませんが、本当に些細な事だったと言います。
怒り狂った父親は自分の娘を、何と手篭めにしてしまいました。
しかし、それだけでは収まりませんでした。
娘は牢に入れられた上、食事もろくに与えられず毎日のように父親の相手をさせられました。

娘は満身創痍、体もすっかりやせ衰えて以前の美しさは見る影も無くなりました。
通常ならば、ここで発狂をしてしまうでしょう。が、彼女は驚くべき精神力で耐え抜きました。
そして、子供を身篭ります。

彼女自身、色々と悩む所はあったのでしょうが、結局その子供を産んだとの事です。
そしてその子供を「この子供だけでも助けてやって下さい」と、牢番を担当していた家来に託そうとします。
しかし、家来は父親からの報復を恐れる余り、それを拒否しました。

牢での苛酷な環境に耐えられなかった子供は、すぐに死んでしまいました。
そして、これを機に娘の精神も破綻をきたします。毎日のようにうわ言を呟き、突然ゲラゲラと笑い出します。
やせ衰え、糞尿まみれになった彼女の不気味な笑いは、とても正視できるものではありませんでした。

そしてある日、とうとう彼女は死んでしまいました。
死ぬ直前に正気に戻ったのか、父親や兄弟、手を貸してくれなかった家来の名前一人一人を挙げ、「コイツの子孫は○○にしてやる」「コイツは○○で殺してくれる…」と言ったそうです。

死んだ娘さんは父親によって打ち捨てられ、野に晒されるままになっていました。
しかし、怨みを恐れ、更に不憫だと思った村の人間や家来達が、ねんごろに弔ったとの事です。

話を全て聞き終わった先輩は、父親に尋ねました。「何故、親父がそこまで細かく知ってるんだ?」と。
父親はこう返しました。

「その娘が託そうとした子供を拒否した牢番の家来というのは、
うちの先祖だからだ」と。

唖然とする先輩に、父親はこう続けました。「うちの先祖も加担した人間として、名指しで怨みを言われた。
けれど、子々孫々に渡ってこの話を受け継ぎ、決して同じ過ちは
繰り返さない、もしも同じような場面に遭遇したら、その時は必ず助ける。
毎日、そうやって祈っているお陰か、うちでは誰一人怨みで死んでいる人間は居ないようだ」

ちなみに、先輩の先祖が言われた内容は「お前は子供を助けてくれなかった。
お前の子供も、同じ目に遭わせてやる」といった内容だったそうです。

先輩は気付きました。自分が小学生の頃に庄屋の家で見たあの光景。
庄屋の娘さんが「どこへやった」というのは、遥か昔に不幸な死を迎えた、先祖の子供の事ではなかったのかと。
祖母が呟いていた「しょうがねぇ事」というのは、この事だったのだ、と。

また、先輩が庄屋さんの家で遊んでいた頃、娘さんが「まるで我が子に接するような優しさで可愛がってくれた」事も思い出しました。
そして、頻繁に外の出来事を聞いてきた事も。
それはまるで、牢に閉じ込められた彼女の先祖の様ではないか…。

正しく農村の黒歴史、といったところでしょうか。ちなみに、この話は郷土史等には一切登場していないようです。
何故なら、この事件の関係者だった子孫はまだ数多く居ますし、
それを出すとなると何かと問題になるからだそうです。

1つ分かることは、庄屋の子孫だけは怨みを逃れることは出来なかったという事です。
噂によれば、庄屋の娘さんは精神病院へ、祖母は他界し、それをきっかけとして庄屋夫婦は遠くへ引っ越したとの事です。
ただ、庄屋さんには娘さんの他、息子さんが1人居ます。
出来ることなら、息子さんが「怨みの輪」を断ち切ってくれると良いのですが…。
  1. 2005/10/05(水) 14:49:16|
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フミイルベキデナイバショ

私がまだ小学校低学年の幼い子供だったころに、
趣味で怖い話を作っては家族や友達に聞かせていました。
「僕が考えた怖い話なんだけど、聞いてよ。」ときちんと前置きをしてからです。
特にじぃちゃんが私の話を喜んで聞いてくれました。
私はそれがとても嬉しかったんです。熱心に聞いてくれるのと同時に、こわがってくれたから。

そんな折、私の作った話がクラスの中で流行りだしました。
放課後の男子トイレで個室を叩くとノックが返ってくる。といったありがちな話です。
クラスの女子の間であっという間に流行り、噂は学年中、学校中へと広まりました。
「男子トイレの前で手招きする男の子を見た」とか言い出す女子も出てきていて
私がやっとその噂を知って「僕の作り話だってば」と言ってもきかず、
その後もまことしやかに囁かれ続けました。
ついにはそこで肝試しを始めるグループまで現れてしまいました。

その肝試しでしたが、なにも起きるわけがないのに、
グループの子供が皆「ノックの音が返ってきた」と言うんです。大変な騒ぎでした。
そんなワケないだろ!?と思って作り話だということをアピールしようとしたのですが
当時の私は皆に冷たくされるのが怖くて言い出せませんでした。
しかし、そのうち私は自分の話が本当になってしまったのではないかと思うようになり、
すごく恐くなって自作の怖い話をすることをやめました。

その騒動があってからしばらくして
じぃちゃんが、怖い話をしなくなった私に「もう怖い話しないのかい」と聞いてきました。
私はもう泣きじゃくりながらその話をじぃちゃんにしたんです。
ほうかほうか、とやさしく聞きながら、こんなことを話してくれました。

 それはな、みんなが坊の話を本当に怖いと思ったんだ。
 坊の話をきっかけにして、みんなが勝手に怖いものを創っちゃったんだよ。
 怖い話を作って楽しむのはいいけど、それが広まってよりおそろしく加工されたり、
 より危険なお話を創られてしまうようになると、
 いつの日か「それ」を知ったワシらの目には見えない存在が、
 「それ」の姿に化けて本当に現れてしまうようになるのかもな。
 あるいは目に見えるものではなく、心のなかにね。  

 「おそれ」はヒトも獣も変わらず持つもの。
 「おそれ」は見えないものも見えるようにしてしまう。本能だからね。
 だから、恥ずかしくないから、怖いものは強がらずにちゃんと怖がりなさい。
 そして決して近寄らないようにしなさい。そうすれば、本当に酷い目にあうことはないよ。

私は、じぃちゃんも何かそんな体験をしたのかと思って
「じぃちゃんも怖い思いをしたの?」と聞きました。
すると、予期しなかったじぃちゃんのこわい話が始まったのです。

 昔、じぃちゃんは坊の知らないすごく遠くのお山の中の村に住んでいたんだよ。
 そこで、じぃちゃんの友達と一緒に、お山に肝試しに行ったことがあるんだ。
 そうだね、じぃちゃんが今でいう高校生ぐらいのころかな。
 お地蔵さんがいっぱい並んでいたけど、友達もいるし全然怖くなかった。
 でも、帰り道にじぃちゃんの友達が、お地蔵さんを端から全部倒し始めたんだ。
 「全然怖くない、つまらない」って言ってね。
 じぃちゃんはそこで始めてその場所に居るのが怖くなったよ。なんだかお地蔵さんに睨まれた気がしてね。
 友達を置いてさっさと逃げてきちゃったんだよ。
 そうしたらその友達はどうしたと思う?

死んじゃったの?

 ううん、それが何も起こらないで普通に帰ってきたんだよ。
 でもじぃちゃんはもうそれからオバケが怖くなって、友達と肝試しに行くのを一切やめたんだ。
 その友達はその後も何度も何度も肝試しといってはありがたい神社に忍び込んだり
 お墓をうろうろしたりお地蔵さんにイタズラしたり色々するようになってね。
 周りの人からは呆れられて相手にされなくなっていったよ。 
 人の気をひくために「天狗を見た」なんていうようになってしまった。
 じぃちゃんに「見てろ、噂を広めてやる」なんて言って、笑っていたよ。

 そして、ある日ふっと居なくなったんだ。
 じぃちゃんもみんなと色々と探したんだよ。
 そしたら…
 山の中の高い木のふもとで、友達は死んでた。
 木の幹には足掛けに削った後がてんてんと付いていてね。
 友達は自分で木に上って、足を滑らせて落ちたんだ。ばかなやつだよ。
 
 坊、世の中には人が入ってはいけない場所っていうのがあるんだ。
 それは怖い場所だ。
 坊だったらタンスの上もその場所だよ。
 落ちるのは怖いだろ。そういうことだよ。
 じぃちゃんの友達には、怖い場所が見分けられなかったんだ。

怖いね。ばちがあたったのかな。

 いいや、怖いのはここからさ。
 友達が死んでから、村の中のひとたちが次々に「天狗を見た」って言い出したんだ。
 じぃちゃんは「あれは友達のでまかせだ」と言ったんだけどね。
 友達が天狗の怒りに触れた、祟りだ、呪いだ、と皆は自分達でどんどん不安をあおっていった。
 夜通しで見張りの火まで焚いたんだ。
 皆が顔をあわせるたびに天狗の話をするので、村の中がじめじめしていた。

 そんな時に限って具合が悪くてね、村の中でケガをするのが4件続いたんだよ。
 どうってこともないねんざまで数に数えられてね。どう見てもあれは皆おかしくなってた。
 さらに噂に尾ひれがついて、「天狗に生贄を出さなくては皆殺される」とまで酷い話になっていた。
 
 そしてついに、本当に生贄を出そうという話をするようになったんだ。
 友達が死んだのは木から足を滑らせて落ちたからなのに、完全に天狗のせいになってた。
 村の中の皆も、人が入ってはいけないところに踏み入ろうとしていた。
 それはね、人の命だよ。 誰にもそれを奪う権利なんてないだろうに。
 じぃちゃんはね、天狗よりも村の中の皆がすごく怖かったんだよ。
 
 だからね、じぃちゃんは、その村から逃げてきたんだ…

じぃちゃんのこの話は、その後もねだって2度程聞かせてもらいましたが
「絶対に内緒だぞ」と言われ、両親の居るところでは決して話しませんでした。
でも、今でも私の家には父方の実家はありません。
農家の次男のじぃちゃんが、庄屋の娘のばぁちゃんと駆け落ちしてきたからだよと、
私の両親からはそう聞いています。

じぃちゃんが私に自作の怖い話を聞かせてくれたのかとも思いましたが、多分違います。
その長い話が終わった時、
じぃちゃんは大粒の涙をぼとぼと、私の小さな手の甲に落としたのですから。

今も思い出して涙腺が緩みました。
長文を読んでくれてありがとうございました。
  1. 2005/10/04(火) 14:24:28|
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コノイエノシタニ

私が中学生のころのお話です。
当時、実家に住んでいた私は兄弟の部屋と離れ自分の部屋を好きに使っていました。
部屋を広く使おうと思い、隅に布団を敷き、枕元に自分で買ったはじめてのステレオを置いて普段は布団にねっころがりながら耳元のスピーカーから音楽を聴いていました。
あのころは携帯もなく、実家では流行のコードレスフォンを導入し、私は夜になると自分の電話のように部屋に持ち込み、一日中友達と電話で話していました。
ある日、部活の事情で家族の外出に同行できなかった私は家で一人、いつもと同じように布団に横になって友達と電話をしていました。
部活の疲れが出たのか、友達と電話で話していて眠くなったので電話を切り、部屋の電気を消して眠りにつきました。
夜中に目がさめました。
季節はいつだったか覚えてません。
決して寝苦しくて起きたわけではないのですが、起きた瞬間に体が動かないこと、頭が割れるほど痛かったことを憶えています。
暗闇の中、数秒で「金縛りかな」という判断はできました。
その瞬間までは別に怖くはありませんでした。
ふっと目の前のコードレス電話の緑色の通話ランプが光るのが見えました。
電話を切るのを忘れてた?
違う、明らかについた瞬間を見た。
起きた拍子につけたわけでもなく、鳴ってないんですからかかってきた電話をとった訳でもない。
間もなく電話の発信音が聞こえてきました。
プゥーーーという音の中に何かボソボソという音が聞こえます。
耳からは少し遠いので聞き取れません。

「グズッ、グズッ、」
「…してやれ。」

声・・・?男の声…!そう思うといきなり背筋に悪寒が走りました。

その瞬間、後頭部の方に位置する大きなスピーカーからザザザザザザザザザザというノイズの轟音が堰を切ったように溢れ出してきました。
体は動かない。
全身に汗が噴きだし、頭の中で「嫌だ!嫌だ!」と叫び聞かないようにしても意識をそむけることができませんでした。
だんだんとその中に少しづつ声らしきものが漏れてくるのを聞き取れるようになりました。
AMとFMの局の雑音が混じったような音。
今でいえばダイヤルアップ接続する時のようなあの音。
その中に大勢の人の声が耳に入りこんでくるのです。
かろうじて聞きとれたのは

「ころして」
「くらい」
「きたよ」
「でたい」
「つめたい」

などの単語。
あとは読経のような抑揚のあるリズムの声。
体はガタガタ震えながらも熱く、満足に呼吸もできない状態でした。
「嫌だ!やめろ!」頭の中でずっと叫びつづけていると、10秒ほどで雑音の中ではっきりと、一人の男の声が聞こえてきました。



「このいえのしたにいるおんなのこをはなしてやれ」



「え?」
頭の中ではすぐに何を言いたいのかわからずただその言葉を反芻していました。

「このいえのしたにいるおんなのこをはなしてやれ」
「このいえのしたにいるおんなのこをはなしてやれ」
「このいえのしたにいるおんなのこをはなしてやれ」

男の声は何度も何度も繰り返され耳元で怒鳴られているかのように頭に響きました。
私は頭が割れそうな中、精一杯の声を振り絞り「やめてくれーーーー!」と叫びました。

声になっていたかはわかりません。
が、その瞬間声は止み、体は動くようになりました。
急いで部屋の電気をつけようと体をゆすって起きようとするのですが頭の痛みが収まらず、なかなか立ち上がれませんでした。
思い出し、先程の言葉の意味を考えていると更に怖くなり涙が出てきました。
部屋に電気をつけ、カラダの震えがようやく収まってきた頃、
がたん。
部屋の階下で物音がしました。
家族が帰ってきたかも知れない。
夜中の話ではありましたが、期待感からそう思いました。
なんとか立ち上がり、重い木製の引き戸まで足を運びました。
不安と期待で迷いましたが確認するためには引き戸を開けるしかなかったんです。
恐怖で指先は震えていました。
ほんの少し、5ミリほど引き戸を開けると目の前の階段は電気がついており、安心感から更に引き戸を開け、様子をうかがいながら少しずつ扉の外に出て行きました。が。

がり。

部屋で聞くよりも少しだけ音がよくわかります。
やはり下の会から聞こえてくる音でした。
ただ、実家の床は木製タイル、歩くときしむ音のように思えました。
部屋から完全に抜け出し、階段の下をうかがいましたが下の階は暗くてよく見えません。
人の気配がしたので階段を中腹まで下りてみると、ガリ、ガリ、ガリ、ガリとはっきりした音が聞こえてきました。

家族じゃないと気付いた時にはもう手遅れでした。
全身が再び神経剥き出しになるような感覚に襲われ、まだ終わってないんだということを強烈に思わされました。
そこには真っ黒な不透明(半透明?)の男が階段下の廊下に四つん這いになっている姿がありました。

がり。
がり。
がり。
がり。

真っ黒な男は両手の指で一心不乱に床を掻き毟っているのです。
真っ黒なのでどこを向いているのかわかりませんが、上体を起こした時の仕草は確実にこちらを見ていました。
とにかくヤバイ!
早く部屋に戻りたい一心で階段を駆け上ろうとするとバタバタとその男が階段に近づいてくる音がしました。
振り返りたくはなかったので部屋に飛び込み引き戸を精一杯閉め、カギを掛けました。
音は何も聞こえなくなり、追いかけてきた気配は気のせいだったかもしれないと思い一息つき、引き戸に耳をつけて向こうの様子を伺おうとしたその時、戸を隔てたすぐ向こう側、数センチのところから聞こえてきました。



「このいえのしたにいるおんなのこをはなしてやれ!」



泣いているような声でした。
もちろん返事などできません。
じっと黙っていると向こう側でガリガリと再びその音は始まり、今度はずるずると階段を下りていきながら何時間も床を引っ掻いていました。
私はというと布団を抱え耳をふさぎ、その日は朝まで震えていました。
その後、その家ではしばらく一人になるのを避けつづけていました。
  1. 2005/10/03(月) 14:17:13|
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カミトリシ

祖父が子供の頃の話。

祖父は子供の頃、T県の山深い村落で暮らしていた。
村の住人のほとんどが林業を営んでおり、山は彼らの親と同じであった。
そんな村にも地主が存在しており、村の外れにある大きな屋敷に住んでいた。
地主は林業を営むわけでもなく、毎日をのんびりと暮らしていた。

まさしく牧歌的な暮らしの村であるが、村特有のルールも存在していた。
そのルールというのが
「毎月3日は髪取り師以外は地主の家に近づいてはならない」
「屋敷に来る客人に声をかけてはならない」
というものだった。
毎月3日の朝に村外から数名の人間が訪れては、夕方には帰っていく。
物心付く前からそのルールを教え込まれていた祖父は、何の疑問ももたずに
ルールを守り続けていた。

ある日、村の外から一人の男が流れ着いてきた。その男をAとする。
男は村のはずれにある屋敷から、少し離れた場所に勝手に小屋を造り住み着いたそうだ。
村人たちは不審人物であるAに誰がこの村のルールを説明するのかを会議し、祖父の父親(B)がその役をする事になった。
Bは早速Aの小屋へ赴き、この村のルールを説明した。このルールを破れば、大変な事になるので必ず守って欲しいと念
をおした。

俺が不思議に思ったのが、なぜ村から追い出さなかったのかだが、祖父曰く
「村の人間の半数が流れ者なので、追い出すという考えがなかった」
だそうだ。

話を戻す。

AはBの説明を聞き、ルールを守る事を了解した。
そしてAが訪れてから最初の3日が訪れた。
この日も20代の男女と40代の男一人が村へとやってきた。
3日にやってくる者はみな、身なりもよく良家の出である品をもっていたそうだ

この村に何故村外の者が訪れるのか。
その秘密は「髪寄りの法」にある。
この髪寄りの法とは、人間にかけられた呪いや付き物を落とす術であり
この村の地主がその術を代々受け継いでいたらしい。
術はその名の通り、髪の毛に邪念を寄せ取り除くというもの。
しかしその髪を取り出す場所は被術者の腹部から取り出される。
その髪を山へ封印にいくのが、地主から洗礼をうけた髪取り師である。

その日もいつもと同じように時間が流れ、屋敷の裏口にそっと置かれた包み紙を
髪取り師が持ち、山へと封印にいった。
だが、村に来て日の浅いAは村のルールは聞いていたがそれを無視し、屋敷の側の
雑木林からその様子をうかがっていた。
Aは髪取り師が持ち去った包み紙に、何かいいものが入っているものだと考え
髪取り師の後をつけた。

髪の封印場所は山の中腹に建てられた祠であり、この祠の管理も髪取り師の仕事であった。
Aは髪取り師が祠の中に包み紙を入れ、山を下りたのを確認すると祠のなかからそれを
取り出した。中を確認すると血で濡れた一束の髪の毛。Aはその髪を放り出し逃げ出した。

その次の日、Aの小屋が燃えた。

Aは小屋から逃げ出し無事であったが、不審に思った地主がAを呼び出した。
Aは昨日の事を話さなかったらしいが、地主にはAについているモノが見えていた。
地主は、死にたく無ければ、お前が髪取り師を受け継げ。それを拒否すれば命はない。と
Aにすごむが、Aはそれを拒否。その日の内にAは村から追放された。

それから数日後、地主の屋敷が全焼し一家が死亡した。
その焼け跡からはAと見られる遺体も発見された。
村人はAが放火し、そのまま逃げ遅れたのだろうという結論になった。
さらに数日後、髪取り師が祠に行くと、祠は完全に破壊され中にあった髪も
すべて持ち去られていた。
真相は不明だが、村人たちの話ではAは祠を破壊し、髪をもって屋敷にいった。
髪の呪いや邪念が一気にたかまり、屋敷炎上を引き起こしたんじゃないかという事になった。

地主がいなくなってからは、村外の者からの収益もなく次第に村がさびれていき
やがて捨て村となっていった。

それいらい祖父は髪の毛に対し強い恐怖を覚えるようになったと
ツルツルの頭を撫でながら話してくれた。
  1. 2005/10/02(日) 13:55:57|
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ヤママツリ

久しぶりに休みが取れた。たった2日だけど、携帯で探される事もたぶんないだろう。
ボーナスも出た事だし、母に何か旨いものでも食わせてやろう。そう思って京都・貴船の
旅館へ電話を掛けてみた。川床のシーズン中だが、平日だったから宿が取れた。
母に連絡を取ると大喜びで、鞍馬も歩いてみたいと言う。俺に異存はなかった。
京阪出町柳から叡山電鉄鞍馬駅まで約30分。その間に景色は碁盤の目のような街中から
里山を過ぎ、一気に山の中へと変化する。また、鞍馬から山越えで貴船へ抜けるコースは、
履き慣れた靴があればファミリーでも2時間前後で歩く事が出来るし、日帰りなら逆に、
貴船から鞍馬へ抜け、鞍馬温泉を使って帰る手もある。
その日もさわやかな好天だった。荷物を持って歩くのも面倒なので、宿に頼んで預かって
もらい、それから鞍馬山へ行った。堂々たる山門を潜った瞬間、いきなり強い風が吹き、
俺を目指して枯葉がザバザバ降って来る。落葉の季節ではないのだが、母とくれば必ず
こういう目に遭う。天狗の散華だ、と母は言う。迷惑な事だ。途中からロープウェイも
あるが、母は歩く方を好むので、ところどころ急な坂のある参道を歩いて本殿を目指す。
由岐神社を過ぎると、先々の大木の中程の高さの枝が、微妙にたわむ。毎度の事だが。
鞍馬寺金堂でお参りした後、奥の院へ向かって木の根道を歩く。
魔王殿の前で、一人の小柄で上品な感じの老人が、良い声で謡っていた。
“…花咲かば、告げんと言ひし山里の、使ひは来たり馬に鞍。鞍馬の山のうず桜…”
言霊が周囲の木立に広がって行くようで、思わず足を止め、聞き惚れた。
最後の一声が余韻を残して空に消えた時、同じように立ち止まっていた人たちの間から、
溜め息と拍手が湧き起こる。老人はにっこり笑って、大杉権現の方へ立ち去った。

鞍馬山を下り、貴船川に沿って歩く。真夏の昼日中だと言うのに、空気がひんやりして
気持ちがいい。流れの上には幾つもの川床。週末は人で溢れているのだろうが、今日は
そうでもない。少し離れると、清冽な流れの中、カワガラスが小魚を追って水を潜り、
アオサギがじっと獲物を待つ。もう備えの出来たススキが揺れる上を、トンボたちが
飛び回る。
貴船神社へお参りに行く人は多いが、奥宮へ参る人は少ない。その静けさを楽しみ
ながら、奥宮の船形石の横の小さな社に手を合わせる。弟たちも連れて来てやれれば
よかったが、何分にも平日の急な事。学生時分ならともかく、社会人がそうそう手前
勝手な事をする訳にはいかない。母とそんな話をしながら振り返ると、さっき魔王殿の
前で謡っていた老人がこっちへ歩いて来るところだった。軽く会釈すると、向こうも
にこっと笑って片手を挙げる。
「先程は、良いものを聞かせて頂いて、ありがとうございました」
「いやいや、お恥ずかしい」老人は首を横に振り、俺と母を見やりながら
「親子旅ですか、よろしいなぁ。ええ日にここへ来はった。今日は“山祭り”や」
「まあ、お祭りがあるんですか」祭りと聞いて、母の気持ちが弾むのがわかる。
老人が教えてくれる。
「今晩、川床の灯りが消えた時分から、この先の方でありますねん。“山祭り”は
時が合わなんだら成りませんし、ほんまの夜祭りやから、知らん人の方が多いんや。
もし、行かはるんやったら、浴衣着て行きはった方がよろし。その方が、踊りの
中へも入りやすいよって」
母は既に行きたくてワクワクしている。一時、『盆踊り命』だった人だから。
ま、いいか。俺は盆踊りは嫌いだが、仕方ない。付き合うか。

川筋の道沿いに、黄桃のような丸い灯りが、ぽつりぽつりと点いている。俺たちの
他に、歩いている人はほとんどない。
奥宮へ近づくにつれ、笛の音がどこからともなく風に乗って流れて来た。山祭りは
どうやら、思っていた盆踊りのようなものとは、全然違うものらしい。
奥貴船橋の袂をくっと左へ折れ、山の中へ入る細い道をたどると、笛の音はますます
はっきり聞こえる。曲目はわからないが、ゆったりとしたメロディを、複数本の笛で
吹いているようだ。
やがて、木立の間からたくさんの白い提灯と、その灯りが見えて来た。そこは体育館
程度の広さの空き地になっていて、笛の音に合わせて数十人の人たちが踊っていた。
衣装は白地に紺色の流水模様の浴衣。女は紅の帯、男は黒字に金の鱗模様の帯。
踊るというより、舞うと言った方がいいような優美な動きで、普通の踊りの時のような
賑わしさや、テンポあるいはノリは全く感じられない。
俺たちより先に来て、これを眺めていた隣の人がいきなり駆け出し、踊りの輪の中へ
入って中の人と手を取り合った。知り合いがいたらしい。
前の方から、あの老人が笑みを浮かべながら、静かに俺たち親子に近づいて来た。
「ああ、来はりましたんやな」
「こんばんは。不思議なお祭りですね」
老人は不思議な言葉を口にした。
「あの中に、逢いたい人がいたはりますやろ」
逢いたい人?訳がわからず、ぽかんとする俺。
母が突然駆け出した。
「母さん!?」

伸ばした手の先に、よく知ってる人がいた。
実家にいる頃いつも見ていた人。写真立ての中で笑っている、俺と面差しのよく似た
青年。俺が2歳の時亡くなった父だ。
まっしぐらに父に向かって進む母を、踊り手たちは空気のようにするりとかわし、
何事もなかったかのように踊り続ける。
一足ごとに母の時間が逆戻りする。わずか3年余りの妻としての日々と、その何倍もの
母としての時間。今、父の手を取りながら、母は堰を切ったようにしゃべり続け、
父は黙って微笑みながら、時折相槌を打っている。二人の間に涙はない。何を話して
いるか、俺には聞こえないが、きっと言葉で時間を溶かしているのだろう。
時を越え、両親は恋人同士に戻っている。初めて見る両親の姿。ああ、父はあんな風に
笑う人だったのか。母はあんな風にはにかむ人だったのか。これだけの歳月を隔て、
まだ惹かれ合う二人に、思わず胸が熱くなる。
父に誘われ、母が踊りに加わる。なかなか上手い。本当に楽しそうに踊っている。
俺の頭の中で太棹が鳴り、太夫の声が響く。
“…おのが妻恋、やさしやすしや。あちへ飛びつれ、こちへ飛びつれ、あちやこち風、
ひたひたひた。羽と羽とを合わせの袖の、染めた模様を花かとて…”
両親の番舞をぼーっと眺めていたら、ふと俺の事を思い出したらしい母が、父の手を
引いてこっちへやって来た。ほぼ初対面の人に等しい父親に、どう挨拶すべきか。
戸惑って言葉の出ない俺を、おっとりとした弟と雰囲気の良く似た父は、物も言わずに
抱きしめた。俺よりずいぶんほっそりしているけれど、強く、温かい身体。父親って
こんなにしっかりした存在感があるのか。
「大きくなった…」万感の思いのこもった父の言葉。
気持ちが胸で詰まって言葉にならない。ようやく絞り出せた言葉は「父さん…」
「うん」
優しい返事が返って来た。もう限界だった。俺は子供のように声を放って泣いた。

母の事を笑えない。気が付けば、俺は夢中で父に、友人の事、仕事の事を一生懸命
話していた。今までは、そんな事は自分の事だから、他人に話してもわかるまいと
思い込み、学校での出来事さえ、必要な事以外は母に話さなかったのに。
父の静かな返事や一言が嬉しかった。子供が親に日々の出来事を全部話したがる
気持ちが、初めてわかったような気がする。
俺の話が一段付いた時、父は少し寂しそうな顔をした。
「ごめん。もっと一緒にいたいけど、そろそろ時間みたいなんだ」
時は歩みを止めてくれなかった。でも、嫌だと駄々をこねたところで詮無い事。
大事な人に心配をかけるだけ。ああ、わかっている。笑って見送ろう。
「口惜しいよ、おまえたちの力になってやれなくて…」
「大丈夫、任せろよ。俺がいる。」
長男だもの。俺は親指を立て、父に向かって、偉そうに大見得を切った。
安心したように頷く父に、母がとても優しい眼差しを向け、父が最上級の笑顔を返す。
「…じゃあ、そろそろ行くよ」父は、踊りの輪の方を向いた。
「父さん」呼びかけずにはいられなかった。
父が振り返る。
「俺、二人の子供で良かった」本当に、そう思った。
父は嬉しそうに笑い、そのまま煙のようにすうっと姿を消した。
母はしばらく無言で父が姿を消した辺りを見つめていたが、やがて諦めたように
首を振り、「帰りましょう」と俺を促した。

翌朝、まだ眠っている母を部屋に置いて、奥貴船橋の袂まで行って見た。
昨夜の、橋の袂をくっと左へ折れ、山の中へ入る細い道は、やっぱりなかった。
あの老人が言っていた。“山祭り”は、時が合わねば成らないのだと。
それは俺たち親子が見た幻だったかもしれない。
でも、逢いたい人に会え、伝えたい事を伝えられた。幸せな旅だった。
  1. 2005/10/01(土) 13:50:51|
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オイナリサン

木曜日、友人から電話があった。
「ねえ、伏見稲荷って行った事ある?」
快活な彼女らしくない、沈んだ小さな声だった。
「ええ?何いきなり?」
聞けば、1ヶ月前手術を受けた母親の回復が、余り思わしくないのだと言う。
どうして伏見稲荷なのか聞いてみると、雑誌に出てた写真に強く惹かれたのだと彼女は言った。
それまで、他人が勧めてくれた所は全部胡散臭く思えたのに、
何故かここなら大丈夫だと思えたらしい。
普段、非科学的な事はすっぱり切り捨てるひとなのに、よっぽど参っているのかと思い、
日曜日に会う約束をして受話器を置いた。

京都・伏見稲荷大社は、東山三十六峰の最も南に位置する、古い神奈備山の麓にある。
本殿の裏は標高233メートルの稲荷山で、まだ夏の濃い緑色を残した山中に、
1万余基の朱塗の鳥居が連なって道を成す様は、ちょっと余所ではお目にかかれない。
「あっちね」人の流れに沿って、彼女は右側の千本鳥居の方へ行こうとする。
「こっちだよ」と左側を差すと、少し不審気な顔をし「何故?」と聞く。
「何でもない時なら左右どっちからでも構わないけど、今日みたいに再生・復活の願いを込めてお参りする時は、左側から時計回りに行かないとね。お百度も同じ」
途切れない程度に人が続く細い坂道を、彼女の手を引きながら登って行く。
この御山の特徴はもう一つ。神々の降臨跡に設けられた正規の御社の周囲に、御塚と呼ばれる、
人々が願いを込めたMy御社がぎっしりと建てられている事だ。
ここには願いの数だけ御社があり、神々がいる。
俺にとっては何ともない事だが、そう言った数多くの社の存在と、願い事が叶ったお礼に奉納される朱塗の30センチ程のミニチュア鳥居がうずたかく積まれている光景は、彼女にとっては一種カルチャーショックだったようで、顔を強張らせたまま、しばらく口を利かなくなってしまった。

稲荷山は3つの峰を持っている。
その最初の峰への道の中程に、俺たちが目指す薬力社があった。薬力さんはその名の通り、
薬石の効力を高め、疾病に悩む人々を救うとされているお稲荷さんだ。
お賽銭を上げ、両手を合わせて祈る。
ふと、何か見られているようで、気になってそちらへ顔を向けてみた。
まだ真剣に祈り続けている彼女の向こう、御塚の古びた石の台に山と積まれた朱塗のミニ鳥居の上に、
白銀色にお日様の金色を少し混ぜたような、輝く毛並みの小さな狐が
ちょこんと座ってこっちを見ていた。
大きさは生まれたての仔狐程だが、その思慮深げな顔付が自ずと歳経たものだと語っている。
なぜだか、白檀のようないい香りがした。
あんまり不思議で美しい狐だったので、目が離せなくなった。
そんな俺の傍らを、参詣の人たちが気にも留めずに通り過ぎて行く。
何秒くらいの事だったか。
瞬間、それがニコっと笑ってうなづいたような気がしたので、慌てて目礼する。
「どうしたの?」傍らで不思議そうな彼女の声がした。
目を開けると、狐は当然もういない。
「いや…」もう一度お賽銭を上げ、ポケットの中のチョコレートを供えた。
代わりに、先に供えられていたキャンディーをひとつ貰って彼女に渡す。
「え、良いの?」彼女は戸惑っていたが、
「お下がりだよ」そう言うと、頷いてバッグにそれをしまった。

水曜日、また彼女から電話があった。母親が快方に向かっていると言う。
「退院したらお礼参りに行くつもり。また一緒に行ってね」
先日とは打って変わった弾んだ声だった。
あの小さな狐が薬力さんだったのか、その御眷属だったのか、俺には全くわからない。
でも、あの優しい微笑はこの事を示していてくれたような気がする。
妙なものに出会うのも、たまにはいいもんだと思った。
  1. 2005/09/30(金) 13:42:18|
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サンボンメ

「私、手が三本あるの」とマジメに問いかけられたことあります。
初めて付き合った彼女だったので浮かれていたのもありますけど、
思いっきり恋愛感情も常識も吹き飛びました。
もちろん目に見える手はありませんでした。
ただ、それだけなら「頭の変な子」で終わるのですが、
親も話が合っているのです。でもそれでもまだ「ああ、本人を混乱させないためかな」と、
思えたのに、その母親が、
「私も慣れるまでは大変で、その後、あんたに受け継がせるまで大変だったわよ」
と彼女に話をふり、それを笑いながら聴いている彼女を見てたら怖くなりました。
極めつけが「私も次の世代に受け継がないとね」と微笑んだときは、
かわいいはずの彼女の顔が気持ち悪く見えたほどです。
さすがに生理的にも気分が悪くなったので、
数日後やんわりと断って別れました。中学を卒業するまで無言電話をかけられたけど、
ある日、「しかたがないから他の男を探すことにするわ」の電話があって、
その後はもう今に至るまで何もありません。

ただの電波女と言えばそれで終わりなのですが、
「他に男を見つけたから」が安全となった今になるとちょっと気になりますw
かわいいし、確かに身体に触っても怒るどころか笑うようなタイプだったので、
男には困らないでしょうし。今でもときどき思い出すなあ。あれは悪魔だ。
  1. 2005/09/29(木) 13:41:11|
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