ここさいきん、夕方になると隣の団地の子供らが
かくれんぼしているらしく数を数える声とか
「もーいいかい?」「もーいいよ」って声が良く聞こえるんだ。
風呂に入る前にトイレ行くからおとといも
トイレに入ったんだよ、そしたらさ
窓のほうから「ごー、ろーく、」って
凄い小さな声が聞こえてきた。
からかうつもりでこっちは絶対に聞こえないような小さい声で
「7、8、9、10・・・もーいいかい?」って言ってみた。
その時点で女の子の声は聞こえず。
こっちが言ってる間に向こうが数え終わったんだろうなと
思い、トイレを出ようとしたとき
耳元で
「・・・もういいよ。」って囁かれた。
ちなみに、かくれんぼの鬼だったのは
多分、中学年くらいの子。
俺が聞いたのはもっと小さい子の声。
確かに小さいのも混じって遊んでたんだが
そういう時は保護者の一人が見張ってるみたいだから
団地を抜け出して俺の家のトイレの窓の下まで
来るのは無理だと思う。
砂利が敷いてあるから音で分かるだろうし・・・
何だったんだろう。
- 2005/09/28(水) 13:31:34|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
「12月27日。カツオ10本つる」
「1月27日。外国船を発見。応答なし。雨が降るとオケに雨水をため、これを飲料水とした」
「2月17日。いよいよ食料少なし」
「3月6日。魚一匹もとれず。食料はひとつのこらず底をついた。恐ろしい飢えと死神がじょじょにやってきた」
「3月7日。最初の犠牲者がでた。機関長・細井伝次郎は、「ひとめ見たい…日本の土を一足ふみたい」とうめきながら死んでいった。全員で水葬にする」
「3月9日。サメの大きなやつが一本つれたが、直江常次は食べる気力もなく、やせおとろえて死亡。水葬に処す」
「3月15日。それまで航海日誌をつけていた井沢捨次が病死。かわって松本源之助が筆をとる。井沢の遺体を水葬にするのに、やっとのありさま。全員、顔は青白くヤマアラシのごとくヒゲがのび、ふらふらと亡霊そっくりの歩きざまは悲し」
「3月27日。寺田初造と横田良之助のふたりは、突然うわごとを発し、「おーい富士山だ。アメリカにつきやがった。ああ、にじが見える…。」などと狂気を発して、左舷の板にがりがりと歯をくいこませて悶死する。いよいよ地獄の底も近い」
「3月29日。メバチ一匹を吉田藤吉がつりあげたるを見て、三谷寅吉は突然として逆上し、オノを振りあげるや、吉田藤吉の頭をめった打ちにする。その恐ろしき光景にも、みな立ち上がる気力もなく、しばしぼう然。のこる者は野菜の不足から、壊血病となりて歯という歯から血液したたるは、みな妖怪変化のすさまじき様相となる。ああ、仏様よ」
「4月4日。三鬼船長は甲板上を低く飛びかすめる大鳥を、ヘビのごとき速さで手づかみにとらえる。全員、人食いアリのごとくむらがり、羽をむしりとって、生きたままの大鳥をむさぼる。血がしたたる生肉をくらうは、これほどの美味なるものはなしと心得たい。これもみな、餓鬼畜生となせる業か」
「4月6日。辻門良治、血へどを吐きて死亡」
「4月14日。沢山勘十郎、船室にて不意に狂暴と化して発狂し死骸を切り刻む姿は地獄か。人肉食べる気力あれば、まだ救いあり」
「4月19日。富山和男、沢村勘十郎の二名、料理室にて人肉を争う。地獄の鬼と化すも、ただ、ただ生きて日本に帰りたき一心のみなり。同夜、二名とも血だるまにて、ころげまわり死亡」
「5月6日。三鬼船長、ついに一歩も動けず。乗組員十二名のうち残るは船長と日記記録係の私のみ。ふたりとも重いカッケ病で小便、大便にも動けず、そのままたれ流すはしかたなし」
「5月11日。曇り。北西の風やや強し。南に西に、船はただ風のままに流れる。山影も見えず、陸地も見えず。船影はなし。あまいサトウ粒ひとつなめて死にたし。友の死骸は肉がどろどろに腐り、溶けて流れた血肉の死臭のみがあり。白骨のぞきて、この世の終わりとするや…」
「とうさんのいうことを、ヨクヨク聞きなされ。もし、大きくなっても、ケッシテリョウシニナッテハナラヌ…。私は、シアワセノワルイコトデス…ふたりの子どもたのみます。カナラズカナラズ、リョウシニダケハサセヌヨウニ、タノミマス。いつまで書いてもおなじこと…でも私の好きなのは、ソウメンとモチガシでしたが…帰レナクナッテ、モウシワケナイ…ユルシテクダサイ…」
- 2005/09/27(火) 14:28:20|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:1
すいません、怖くて昼間なのに寒いし泣きそうです。
信じてもらえないと思いますが、思い出したことを書かさせていただきます。
そうしないと不安で泣きそうだ
とある所でコトリバコの話を見つけて検索して読んできたのですが、
途中から気持ち悪くなったり泣きたくなったりもどしたりで最後まで読めませんでした
吐いてる途中になんか頭の中にうちにある蔵が出てきてぼんやりと思い出した
昔子供のころ母が育てていた花をボールでぐちゃぐちゃにしてしまい蔵に閉じ込められたことがある。
田舎はそうなんだけど、つっかえ棒で出れないようにするんだ。
それで中は真っ暗で怖くて泣きまくってなんていうか黒いのが体に染み込んでくる感じがした。
それで泣きまくってる時に箱を見つけたんだよ。
今思えば真っ暗で窓一つ無いのに何で見つかったのか分からない。
ただその箱は真後ろにあったんだ。
それで何でか知らないけどそれをあけてみようとして触ったら
(正確には覚えてないけど触ってないかもしれない)
つっかえ棒が外れる音がしてお婆ちゃんが入ってきた。
大丈夫だよって何回も言っていて二人で外に出た。
おばあちゃんは大丈夫だよって何回もゆっくり背中撫でてくれた。
物凄い量を戻したと思う。大人になってもあんな量出なかった。
お婆ちゃんはずっと大丈夫って言ってた。
それで、トイレで吐いてるときにこのこと思い出して
ふらふらしながらパソコンの前に戻ったんだけど
その箱が頭の中でぐるぐるまわってんの。
黒い点々が無数に付いてたなとか。
思い出してまた吐いたんだけどそれ点々じゃなくてお経なんだ多分。
漢字が無数に書いてあって読めなかった。
暗闇のときにしか箱は見てないのに何で覚えてるのか分からないんだよ。
これって大丈夫?お婆ちゃんはあのこと何も言わない。
蔵側に寝てるから怖くてたまらない。
- 2005/09/26(月) 14:12:17|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
俺、建築関係の仕事やってんだけれども、先日、岩手県のとある古いお寺を解体することになったんだわ。
今は利用者もないお寺ね。んでお寺ぶっ壊してると、同僚が俺を呼ぶのね。
「○○〜、ちょっと来て」と。俺が行くと、同僚の足元に、黒ずんだ長い木箱が置いてたんだわ。
俺「何これ?」
同僚「いや、何かなと思って・・・本堂の奥の密閉された部屋に置いてあったんだけど、ちょっと管理してる業者さんに電話してみるわ」
木箱の大きさは2mくらいかなぁ。相当古い物みたいで、多分木が腐ってたんじゃないかな。
表に白い紙が貼り付けられて、何か書いてあるんだわ。相当昔の字と言う事は分ったけど、
凡字の様な物も見えたけど、もう紙もボロボロで何書いてるかほとんどわからない。
かろうじて読み取れたのは、
「大正??年??七月??ノ呪法ヲモッテ、両面スクナヲ???二封ズ」
的な事が書いてあったんだ。木箱には釘が打ち付けられてて開ける訳にもいかず、
業者さんも「明日、昔の住職に聞いてみる」と言ってたんで、その日は木箱を近くのプレハブに置いておく事にしたんだわ。
んで翌日。解体作業現場に着く前に、業者から電話かかってきて、
業者「あの木箱ですけどねぇ、元住職が、絶対に開けるな!!って凄い剣幕なんですよ…なんでも自分が引き取るって言ってるので、よろしくお願いします」
俺は念のため、現場に着く前に現場監督に木箱の事電話しておこうと思い、
俺「あの〜、昨日の木箱の事ですけど」
監督「あぁ、あれ!お宅で雇ってる中国人(留学生)のバイト作業員2人いるでしょ? そいつが勝手に開けよったんですわ!!とにかく早く来てください」
嫌な予感がし、現場へと急いだ。プレハブの周りに、5〜6人の人だかり。
例のバイト中国人2人が放心状態でプレハブの前に座っている。
監督「こいつがね、昨日の夜中、仲間と一緒に面白半分で開けよったらしいんですよ。で、問題は中身なんですけどね…ちょっと見てもらえます?」
単刀直入に言うと、両手をボクサーの様に構えた人間のミイラらしき物が入っていた。
ただ異様だったのは・・・頭が2つ。シャム双生児?みたいな奇形児いるじゃない。
多分ああいう奇形の人か、作り物なんじゃないかと思ったんだが…
監督「これ見てね、ショック受けたんか何か知りませんけどね、この2人何にも喋らないんですよ」
中国人2人は俺らがいくら問いかけても、放心状態でボーっとしていた(日本語はかなり話せるのに)。
あ、言い忘れたけど、そのミイラは
「頭が両側に2つくっついてて、腕が左右2本ずつ、足は通常通り2本」という
異様な形態だったのね。俺もネットとかで色んな奇形の写真見たこと
あったんで、そりゃビックリしたけど、「あぁ、奇形か作りもんだろうな」と思ったわけね。
んで、例の中国人2人は一応病院に車で送る事になって、警察への連絡はどうしようか、
って話をしてた時に、元住職(80歳超えてる)が息子さんが運転する車で来た。開口一番、
住職「空けたんか!!空けたんかこの馬鹿たれが!!しまい、空けたらしまいじゃ…」
俺らはあまりの剣幕にポカーンとしてたんだけど、住職が今度は息子に怒鳴り始めた。
岩手訛りがキツかったんで標準語で書くけど、
住職「お前、リョウメンスクナ様をあの時、京都の○○寺(聞き取れなかった)に絶対送る言うたじゃろが!!送らんかったんかこのボンクラが!!馬鹿たれが!!」
ホント80過ぎの爺さんとは思えないくらいの怒声だった。
住職「空けたんは誰?病院?その人らはもうダメ思うけど、一応アンタらは祓ってあげるから」
俺らも正直怖かったんで、されるがままに何やらお経みたいの聴かされて、経典みたいなのでかなり強く背中とか肩とか叩かれた。
結構長くて30分くらいやってたかな。
住職は木箱を車に積み込み、別れ際にこう言った。
「可哀想だけど、あんたら長生きでけんよ」
その後、中国人2人の内1人が医者も首をかしげる心筋梗塞で病室で死亡、
もう1人は精神病院に移送、解体作業員も3名謎の高熱で寝込み、俺も釘を足で踏み抜いて5針縫った。
まったく詳しい事は分らないが、俺が思うにあれはやはり人間の奇形で、差別にあって恨みを残して死んでいった人なんじゃないかと思う。
だって物凄い形相してたからね…その寺の地域も昔部落の集落があった事も何か関係あるのかな。
無いかもしれないけど。でも長生きはしたいです。
- 2005/09/25(日) 14:31:19|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:11
コトリバコソノニの経験者の方が、住職の息子さんと電話でコンタクトを取った模様です。
以下、そのやり取り。
____________________________________
すんません。直前になって何か「やはり直接会って話すのは・・・」とか言われたんで、
元住職の息子さんに「じゃあ電話でなら…」「話せるとこまでですけど」という条件の元、話が聞けました。
時間にして30分くらい結構話してもらったんですけどね。
なかなか話し好きなオジサンでした。要点を主にかいつまんで書きます。
息子「ごめんねぇ。オヤジに念押されちゃって。本当は電話もヤバイんだけど」
俺「いえ、こっちこそ無理言いまして。アレって結局何なんですか??」
息子「アレは大正時代に、見世物小屋に出されてた奇形の人間です」
俺「じゃあ、当時あの結合した状態で生きていたんですか?シャム双生児みたいな?」
息子「そうです。生まれて数年は、岩手のとある部落で暮らしてたみたいだけど、生活に窮した親が人買いに売っちゃったらしくて。それで見世物小屋に流れたみたいですね」
俺「そうですか・・・でもなぜあんなミイラの様な状態に??」
息子「正確に言えば、即身仏ですけどね」
俺「即身仏って事は、自ら進んでああなったんですか!?」
息子「…君、この事誰かに話すでしょ?」
俺「正直に言えば…話したいです」
息子「良いよ君。正直で(笑)まぁ私も全て話すつもりはないけどね…
アレはね、無理やりああされたんだよ。当時、今で言うとんでもないカルト教団がいてね。教団の名前は勘弁してよ。今もひっそり活動してると思うんで…」
俺「聞けば、誰でもああ、あの教団って分りますか?」
息子「知らない知らない(笑)極秘中の極秘、本当の邪教だからね」
俺「そうですか…」
息子「この教祖がとんでもない野郎でね。外法(げほう)しか使わないんだよ」
俺「外法ですか?」
息子「そう、分りやすく言えば(やってはいけない事)だよね。ちょっと前に真言立川流が、邪教だ、外法だ、って叩かれたけど、あんな生易しいもんじゃない」
俺「…具体的にどんな?」
息子「で、当時の資料も何も残ってないし偽名だし、元々表舞台に出てきたヤツでもないし、今教団が存続してるとしても、今現在の教祖とはまったく繋がりないだろうし、名前言うけどさ・・・物部天獄(もののべてんごく)。これが教祖の名前ね」
俺「物部天獄。偽名ですよね?」
息子「そうそう、偽名。んで、この天獄が例の見世物小屋に行った時、奇形数名を大枚はたいて買ったわけよ。例のシャム双生児?って言うの?それも含めて」
俺「…それで?」
息子「君、コドクって知ってる?虫に毒って書いて、虫は虫3つ合わせた特殊な漢字だけど」
俺「壺に毒虫何匹か入れて、最後に生き残った虫を使う呪法のアレですか?(昔マンガに載ってた)」
息子「そうそう!何で知ってるの君??凄いね」
俺「ええ、まぁちょっと…それで?」
息子「あぁ、それでね。天獄はそのコドクを人間でやったんだよ」
俺「人間を密室に入れて??ウソでしょう?」
息子「(少し機嫌が悪くなる)私もオヤジから聞いた話で、100%全部信じてるわけじゃないから…もう止める?」
俺「すみません!…続けてください」
息子「分った。んで、それを例の奇形たち数人でやったわけさ。教団本部か何処か知らないけど、地下の密室に押し込んで。それで例のシャム双生児が生き残ったわけ」
俺「閉じ込めた期間はどのくらいですか?」
息子「詳しい事は分らないけど、仲間の肉を食べ、自分の糞尿を食べてさえ生き延びねばならない期間、と言ったら大体想像つくよね」
俺「あんまり想像したくないですけどね…」
息子「んで、どうも最初からそのシャム双生児が生き残る様に、天獄は細工したらしいんだ。他の奇形に刃物か何かで致命傷を負わせ、行き絶え絶えの状態で放り込んだわけ。奇形と言ってもアシュラ像みたいな外見だからね。その神々しさ(禍々しさ?)に天獄は惹かれたんじゃないかな」
俺「なるほど・・・」
息子「で、生き残ったのは良いけど、天獄にとっちゃ道具に過ぎないわけだから、すぐさま別の部屋に1人で閉じ込められて、餓死だよね。そして防腐処理を施され、即身仏に。この前オヤジの言ってたリョウメンスクナの完成、ってわけ」
俺「リョウメンスクナって何ですか?」
※神話の時代に近いほどの大昔に、リョウメンスクナと言う、2つの顔、4本の手をもつ怪物がいた、と言う伝説にちなんで、例のシャム双生児をそう呼ぶ事にしたと、言っていた。
俺「そうですか・・・」
息子「そのリョウメンスクナをね、天獄は教団の本尊にしたわけよ。呪仏(じゅぶつ)としてね。他人を呪い殺せる、下手したらもっと大勢の人を呪い殺せるかも知れない、とんでもない呪仏を作った、と少なくとも天獄は信じてたわけ」
俺「その呪いの対象は?」
息子「…国家だとオヤジは言ってた」
俺「日本そのものですか?頭イカレてるじゃないですか、その天獄って」
息子「イカレたんだろうねぇ。でもね、呪いの効力はそれだけじゃないんだ。リョウメンスクナの腹の中に、ある物を入れてね…」
俺「何です?」
息子「古代人の骨だよ。大和朝廷とかに滅ぼされた(まつろわぬ民)、いわゆる朝廷からみた反逆者だね。逆賊。その古代人の骨の粉末を腹に入れて…」
俺「そんなものどこで手に入れて・・・!?」
息子「君もTVや新聞とかで見たことあるだろう?古代の遺跡や墓が発掘された時、発掘作業する人たちがいるじゃない。当時はその辺の警備とか甘かったらしいからね…そういう所から主に盗ってきたらしいよ」
俺「にわかには信じがたい話ですよね…」
息子「だろう?私もそう思ったよ。でもね、大正時代に主に起こった災害ね、これだけあるんだよ」
1914(大正3)年:桜島の大噴火(負傷者 9600人)
1914(大正3)年:秋田の大地震(死者 94人)
1914(大正3)年:方城炭鉱の爆発(死者 687人)
1916(大正5)年:函館の大火事
1917(大正6)年:東日本の大水害(死者 1300人)
1917(大正6)年:桐野炭鉱の爆発(死者 361人)
1922(大正11)年:親不知のナダレで列車事故(死者 130人)
そして、1923年(大正12年)9月1日、関東大震災、死者・行方不明14万2千8百名
俺「それが何か?」
息子「全てリョウメンスクナが移動した地域だそうだ」
俺「そんな!教団支部ってそんな各地にあったんですか?と言うか、偶然でしょう(流石に笑った)」
息子「俺も馬鹿な話だと思うよ。で、大正時代の最悪最大の災害、関東大震災の日ね。この日、地震が起こる直前に天獄が死んでる」
俺「死んだ?」
息子「自殺、と聞いたけどね。純粋な日本人ではなかった、と言う噂もあるらしいが…」
俺「どうやって死んだんですか?」
息子「日本刀で喉かっ斬ってね。リョウメンスクナの前で。それで血文字で遺書があって…」
俺「なんて書いてあったんですか??」
「 日 本 滅 ブ ベ シ 」
俺「…それが、関東大震災が起こる直前なんですよね?」
息子「そうだね」
俺「…偶然ですよね?」
息子「…偶然だろうね」
俺「その時、リョウメンスクナと天獄はどこに…??」
息子「震源に近い相模湾沿岸の近辺だったそうだ」
俺「…その後、どういう経由でリョウメンスクナは岩手のあのお寺に?」
息子「そればっかりはオヤジは話してくれなかった」
俺「あの時、住職さんに(なぜ京都のお寺に輸送しなかったんだ!)みたいな事を言われてましたが、あれは??」
息子「あっ、聞いてたの…もう30年前くらいだけどね、私もオヤジの後継いで坊主になる予定だったんだよ。その時に俺の怠慢というか手違いでね…その後、あの寺もずっと放置されてたし…。話せることはこれくらいだね」
俺「そうですか…今リョウメンスクナはどこに??」
息子「それは知らない。と言うか、ここ数日オヤジと連絡がつかないんだ…アレを持って帰って以来、妙な車に後つけられたりしたらしくてね」
俺「そうですか…でも全部は話さないと言われたんですけど、なぜここまで詳しく教えてくれたんですか?」
息子「オヤジがあの時言ったろう?可哀想だけど君たち長生きできないよ、ってね」
俺「…」
息子「じゃあこの辺で。もう電話しないでね」
俺「…ありがとうございました」
以上が電話で話した、かいつまんだ内容です…はっきり言って全ては信じてません。
何か気分悪くなったので今日は寝ますね。
___________________________________
はっきり言って非常に恐ろしいです…。
コトリバコについては
コチラを参照して下さい。
- 2005/09/25(日) 14:30:26|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:3
このたび配属された医大はロビー脇に警備室があり、受付の窓口はそこに面している。
本館を東西に貫く廊下に面してドアがあり、そこから俺達は出入りしていた。
受付の窓とドアの間の角が壁になっており、そこが死角となる。
そこに配置された増設を重ね接続が複雑になったインターホンの操作や、並び順がめちゃくちゃなキーボックスの法則をどうにか掴み、受付などのさまざまな業務に慣れてきた頃、ソレは起こった。
日付が変わった頃、俺は単独で受付に座っていた。夜遅くでも研究員の出入りがあるため、常に誰かがここに就いていなくてはならない。
とはいえそんなに頻繁にあるわけではなく、当然ながら退屈であり眠くなってくる。
そして、うつらうつらとしていたが突如漂ってきた異臭によって覚醒した。
ベチャリ
ただならぬ気配に目を見開くと、泥の塊を引きずったような線が廊下に伸びていた。
ベチャリ
鼻腔をくすぐる、ドブと大便の臭いが混じったような異臭。
ベチャリ
視界の片隅に見えた、ぼろ雑巾のような大きな塊。
ベチャリ
それは死角となる領域、キーボックスや各種インターホンが据えつけられた壁の向こう側へと入る。
ベチャリ
本能的な恐怖。風を通すために開けっ放しにしたドアが目に入る。
ベチャリ
タックルするようにドアに飛びつき、その勢いで締める。
ベチャリ
腰が抜けてしまい立てない。ドアにもたれかかり、ドアノブに手を伸ばすも、指先が震えていてサムターンがうまく回せない。
ベチャリ
接近しつつあった濡れ雑巾を床に落としたような音が、ついに俺の真後ろからドア越しに聞こえてきた。
ベチャリ
どうにか震える指がつまみを捕らえ、カチリと鍵がかかった音がした。
まさに、その瞬間。
ドアノブが左右にガタガタと回りだし、慌てて手を引っ込める。
誰だ!
みっともないくらいに震えているが、どうにか声をふりしぼる。
すると、ドアの向こうからはゴボゴボとうがいの様な音が聞こえてくる。
何か喋ってるようにそれは変化するが、言葉として聞き取ることはできなかった。
そして俺は、何を血迷ったのかノックの回数でドアの向こうにいる何かとの意思の疎通を試みてしまった。
昔、怪談で聞いた話だ、何か質問をし、はいなら一回、いいえなら二回といった具合にノックさせるという。
その怪談の状況や結末は覚えていない、ただ、そのコミュニケーション方法だけが印象に残っていた。
何か用ですか
コン(……って、用があるから来たんだろうかボケ)
私にできることですか
……コン(少し迷った。悪かったな新米で)
近くに住む人ですか
コンコン
あなたは生きていますか
コンコン
といった具合に質問を重ねる。
ノックの音には、何か柔らかいものがドアにあたって潰れる音が混じっていた。
そして、
あなたは男の人ですか
そう訊いてからは何の返答もなかった。
いつまでたってもノックの音も、足音もしない。
まだ、何かはそこにいるということか。
身動きが取れないまま、一瞬とも、何時間とも思える時間が過ぎる。
そのとき電話が鳴り飛び上がる。
徹底的に先輩にしごかれていたため、恐怖感を無視して反射的に電話に飛びついた。
ヘマしたときの叱責は、ある意味先ほどの未知なる存在との接触以上に怖かったのだ。
電話は職員からで、至急で法医解剖を行うことになったので、搬入ゲートの開放とストレッチャーの用意をしておいて欲しいとのこと。
マニュアルと格闘して通達すべき職員とそれぞれへの連絡事項を纏め上げ(通達は出勤してくる時間から行うことになっている)、仮眠を終えて起きてきた同僚に引継ぎを行い、
届いた朝刊をそれぞれの研究室や部署に配布し、朝早くから襲来する掃除のおばちゃんに担当場所の鍵を渡し……と、てんてこ舞いでありすっかり先ほどのドアの向こうの存在を忘れていた。
アレを思い出したのは、最後の新聞を渡し終えて警備室に戻ったときだった。
掃除のおばちゃんが、ドアノブを拭いていた。
普段は、そこまでしていなかったのに。
理由、訊くに訊けなかった。
ふたたび窓口に着くと外線が鳴った。
至急で法医解剖を行うことになったので、搬入ゲートの開放とストレッチャーの用意をしておいて欲しいとのこと。
内容はあの時かかってきたものとまるっきり同じ。一体、これはどういうことなのか。
そして、もう一つのことを思い出した。
電話の呼び出し音、普通ではあった。ただ……内線とも、外線とも異なる呼び出し音だった。
退勤時刻まであと30分……というところでついに仏さんが来る。
搬入ゲートに入ってきたバンのハッチが開くと、消毒薬でも隠しきれないドブと大便の臭いが混じったような仏さんの匂いが漂う。
ストレッチャーを回し、積み込みを手伝う、シート越しに、仏さんのでっぷりと太った体型が伺える。
そのとき、振動によるものか仏さんの片腕がだらりとシートからはみ出した。
拳だけ、皮膚が裂け骨が出ていた。素人目にも、他の部分とは損傷の仕方が不釣合に見えた。
数日後、解剖担当の教授がお菓子を差し入れに持ってきた。そのときの雑談でこの前の仏さんの話を聞く。
でっぷりと太っているように見えたのは水死体……いわゆるドザえモンだったかららしい。
なんでも、性別もわからず手術跡もないため身元の特定は難しいという。
損傷はそんなに激しくはなかったと思ったが、そういう意味ではなかった。
世の中には、半陰陽といって男でも女でもない状態で生まれて来る人がいるという。
あの仏さんがそうであり、水死体であり水流にもまれて身に着けていたものをすっかり洗い流されてしまっているため、生前はどう過ごしていたかも特定は難しいという。
体のことを知られるのを恐れ、医者にかかってない可能性もあるからカルテなどないかもしれない。
残った要素から特定せにゃならんから警察の人は大変だと教授はこぼしていた。
仏さんが来る前夜の怪現象を思い出す。
ドア越しにノックでコミュニケーションを試みたアレがあの仏さんだったのだろうか。
だから、男の人かと聞いても答えられなかったのか。
仏さんが生前、どう生きていたのか、どう生きたかったのかはわからない。
それでも、あるがまま、本人の望む形で生きられたと願わずにはいられなかった。
- 2005/09/24(土) 14:11:32|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
最近体験した事で、心霊は関係ないんですが・・・
自分の命が終わりそうな状態で意識がはっきりしている時の恐怖というのは、
恐ろしく、心細く、悲しいという事を知りました。
勿論、人それぞれ生死観は違うでしょうが、私は気が小さい人間で、
自分の命の蝋燭が消えてしまう、火がどんどん小さくなる事を
実感するのは堪らなく恐怖でした。
前置きが長くなりましたが・・・
深夜、原因不明の体調不良で、外に出歩けないほど気分が悪くなったんです。
一人暮らしで、引っ越して間もない土地で、薬局や病院の場所もわからず、
体の具合はどんどん悪くなり、救急車を呼ぶという行動をとりました。
その時点でかなり体調は悪く、会社を一日休んだ状態だったのですが、
救急車が到着するまで間に合わなかったらどうしようという、
小心者特有の考えが頭に浮かんでしまい、焦りで動機は早くなり、
呼吸はし辛くなり、誰かに声をかけ続けて欲しいという
迷惑な想いが頭に浮かび、這って玄関を出、
そこでへたり込んでしまいました。
そこに運良く深夜のコンビニ帰りの同じ階の方が通りかかり、
私は恥ずかしげも無く、
「救急車が来るまでお喋りしていただけませんか」
というような事を言いました。・・・言ったんです。
自分が大事だったので恥ずかしいとか考えられませんでした。
その方は、優しく大丈夫、大丈夫と言ってくれて、
救急隊員が来るまで声をかけ続けてくれました。
本当に感謝しました。
救急車が到着し、隊員の方に誘導されて車に乗り込みました。
その時はまだ、保険証を手に取ったり、ドアの鍵をかける事は
出来る状態でした。
車の中では、受け入れ先の病院が決まらない状態で、
その間にどんどん体調が悪化してゆきました。
全身の筋肉がゆるみ、寒さが襲ってきて、寒いのに
脂汗がだらだらと、顔を流れるほど噴出してきて、
生きる為の力が残り少ないんだという事を勝手に想像して、
(実際そうだったんですが)
生活も希望が持てない状態で、人生にも自分なりの答えが
出せていないのに、救急車の中で私の人生は終わるんだと思うと、
ものすごい恐怖で、残りの時間で何が出来るのか、
何を考えられるのか、死んだらこの思考も止まるのか、
癌患者でも、もっと覚悟する時間はあるんだろうななどと、
不謹慎な事も色々考えました。
受け入れ先の病院が決まった時点で救急車は走り出し、
私の命のために赤信号をバンバンとばしていきました。
その時点で私は、全身がしびれ、体の筋肉には力が入らず、
感覚は説明が難しいのですが、体はゴムの塊のように感じられ、
心臓と頭の中に残ったかすかな力が体をもたせている感覚でした。
後で聞いたところでは、小心者の私は弱音を吐きまくって
いたらしいです。
人生の大一番で無様な私でした。
不安がとれない、恐怖がとれない、(生きる)力を戻すには
どうすればいいですか、と繰り返していたらしいです。
こわもてのおじさん隊員が、
「死ぬって言える奴は死なねえよ!しっかりせんか!」
というような台詞ではげましてくれていたのは覚えています。
結局助かったのですが、原因はすい臓の機能不全と風邪でした。
体の中にインシュリンが大量に出ていて、低血糖状態で、
普通はそれで死ぬなんて事はないですが、
血糖が足りず弱った状態で風邪に体が負けそうになっていて、
気を緩めたら危なかったかもしれないと言われました。
今回は助かりましたが、人間はいずれ死ぬのだから、
その時は、自分の死を慌てず怖がらず受け止めたいです。
その為に、死の際に思い返せる幸せな体験を沢山したいと思いました。
私は並外れて気弱なので、他の人はもっと楽観的に受け止められる
かと思いますが、私の人生で一番怖い経験だったので、
ここに書かせて頂きました。終わりです。長々と失礼しました。
- 2005/09/23(金) 15:12:40|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
前のページ 次のページ